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祭りと祭り。

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思った事: 祭りの新たな形へ

さて。そんなこんなで祭りを二日間乗り切ったわけですが、いろんな人の助けやコンテンツがなければ成り立たない。そんな二日間の放送でございました。

従来の祭りと新しいタイプの祭りの再定義

そもそも祭りというのは伝来、五穀豊穣だったりそういうことを祈ったり願ったりするそんな場だよねっていう認識。なので、今回のみつわ台のお祭りも盆踊りの要素があるので、住民たちにとっては子どもたちの健康とか祖先が帰って来るお盆的なアレとか、そういうような願いを表現する場なのかなとか思いながら僕は参加してたわけです。

誰のための祭り?

ただ、今回に関して特に強く思ったのは、運営側の事情もある程度知った上で参加をしてしまっていたので、これは一体「誰のための祭り」何だろうという結構強烈な疑問が生まれたわけです。

恒例行事になっているから、例年の惰性でやっているような感じ。

恒例化する実行委員、新しい人が入ってくる体質が生まれないまま年月が過ぎていく。このままでいいの?

「明日ハレの日、ケの明日」なんて言葉がある。

常にあるわけではないハレの日に向けて準備をする。ということが通例化して、本来であれば何かの祈りのための祭りだったはずなんだけど、誰の何のための祭りなのか、コンセプト的なものが全く分からなくなってしまっている。

「非日常を日常に」

最近、リノベーションまちづくりに関わるようになってからよく聞くような言葉になってるけど、非日常を作り出すのが目的になってしまっている。そうではなくて、目指すべきは、非日常だと思われていたものを日常の当たり前の価値として作り上げることなんじゃないのかなと、最近思うわけで。

対話をすること、共感すること。

今回、祭りの場を使って生放送をしていたわけですが、祭り本隊のコンテンツはそこまで扱いませんでした。祭りの実行委員会からの要請で行なっていたものの、報酬があるわけでもないし、なんだったら掘っ建て小屋のごとく急ごしらえでコンテンツを作り、方々各所の協力があって行うことができたわけです。改めて感謝ですね。

1日目もそうでしたが2日目も「人ありき」のコンテンツになりました。実は裏テーマで目指していたものがあって、祭りの中の発信コンテンツということもあり、個人的には「ニコニコ超会議」の中に点在する討論とかやってる感じのブース。そんなのを目指してみた。というのもあったりします。

カメラがあり、マイクがあり、そのカメラが自動でスイッチングされていくと、なんだかよく分からないけどトーク番組みたいな感じになったりするわけです。しかもそれっぽいトーク番組。

目的があるわけではないけど、キーワード(チェックポイント)が設定されていて、それに向けて話が展開されることによって、なんでもないようなトークがコンテンツに生まれ変わり、そこから受け手とのコミュニケーションに繋がったり、なんだったら共感へと発展したりする。

大事なのはその最中のお話。否定をしてマウントを取るのではなく、共感をし「いいね」と思うことなんだと思う。そこから新しい挑戦につながり新しいプロジェクトに発展し、新しい価値が生まれる。

ある意味で、「祭り」というビックイベントはそのための実験が行われ、日常にない日常を作り出すための一つの大きな試みだったように思う。

後記

8月中旬に行われて9月くらいには脱稿したいなと思っていたら10月の中旬になっていた。タイムリープでもしたんですかと言わんばかりの時差がつき、本編で一万字には届かないものの論文級のボリュームになってしまった。

実験的に物書きみたいなことをやってみてはいるものの、まだまだ洗練されていないなぁと実感。

ただ、「読ませる」ための文章を作るつもりはそんなになく、それは最初から最後まで一貫していこうとは思っていて、自分の行なった行動とか試みたこと、日々思ったことをつらつらと書いていくことがこのブログ自体の目的。

今後ともこんな文ですがここまで読んでくださった物好きなみなさんに敬意と感謝を表します。ありがとうございました。ここにきて一万字は突破していたりします。

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